光を待ち、光を掴む。写真家・野瀬大樹が見つめる世界と、Eyevolが導くクリアな視界

深夜0時。奈良の山中に、野瀬大樹の姿があった。
雨が降り、山は深い霧に包まれている。狙っていた桜のある場所さえ見えない。それでも彼は、その場で静かに待ち続けていた。周囲にいた人たちは、ひとり、またひとりと引き上げていく。
「今日はもう難しいかもしれない」――そんな空気が漂うなかでも、野瀬は動かなかった。朝10時。
霧がゆっくりとほどけ、山の稜線と満開の桜が姿を現す。
その瞬間を逃さず、シャッターを切った。
待機時間は、10時間。
野瀬大樹の写真は、こうした“待つ強さ”の先に生まれている。

野瀬大樹、34歳。写真家。
LOEWE × Studio Ghibli、Marriott International(ザ・リッツ・カールトンなど)、Nikon、Peak Design Japan、Porsche、インドネシア観光省、Google Pixel――国内外のブランドや企業から声がかかるフォトグラファーだ。Nikonとは、新製品のプロモーションやCP+での登壇など、現在も継続的に仕事を重ねている。彼の写真には、光をまとったような静かな強さがある。幻想的でありながら、輪郭は鋭い。その世界観の根底にあるのは、才能だけではない。理想の一枚にたどり着くまで、状況が整うのを待ち続ける、確かな意志だ。
職人から、写真家へ。
野瀬のキャリアは、最初から写真に向いていたわけではない。
高校卒業後、18歳で就いたのはゴルフ場コースの整備の仕事だった。芝の管理を基本に、大型機械に乗り、ユンボやチェーンソーも扱う。土木作業もこなす、何でもやる現場の職人だった。神奈川県の厚木を拠点に、10年間、そんな日々を積み重ねてきた。写真を始めたのは、2014年頃。23歳前後のことだ。
原宿のセレクトショップ「NUBIAN」で出会ったJunichi Nakayama氏が、iPhoneで目を引くおしゃれな写真を撮っていた。そこに、強く惹かれたという。「趣味をずっと探していたんです。写真って、もしかしたら楽しいかもしれないって思えた」最初はiPhoneで、ストリートや好きなファッションの要素を取り入れた写真を撮るところから始まった。
その年の12月、一眼レフを手にしてからは、写真への熱量が一気に加速していった。

当時、若い人間がカメラを持つことは珍しかった。地元では「カメラ=オタク」という空気がまだ強く、からかわれたり、冷ややかに見られたりすることもあった。
それでも、野瀬はやめなかった。
「正直、周りにバカにされることもありました。でも、せっかく見つけたものだったし、この先を見てみたかった。言われるほど、逆に見返したい気持ちも強くなっていきました」
やがて、Instagramの公式アカウントに1枚の写真がシェアされる。
そこから反応は一気に広がり、海外からも仕事の依頼が届くようになった。
写真が、自分の世界を外へ連れ出してくれた瞬間だった。

独立を意識し始めたのは26歳頃。
迷いもあったが、28歳で職人の仕事を辞め、写真の道へ踏み出した。最後に背中を押したのは、「このまま挑戦しなければ、5年後、10年後にきっと後悔する」という思いだった。「人生は一度きりだし、これまでの人生の中で、人から認められて、自信を持てたものが写真だったんです。だったらこれで大きな存在になりたいと思って、飛び出しました」
ところが、その直後にコロナ禍が直撃する。
思い描いていたスタートとは程遠い船出だった。
それでも、あの時期を越えたことで、野瀬の視座は変わった。
「あれを経験したから、今は多少のことではぶれなくなった。あの時期があったから、今があると思っています」
逆境が、野瀬をさらに強くした。

「これでいっか」は、撮らない。
野瀬の撮影哲学をひと言で表すなら、妥協しないことだ。
撮影に向かう前、頭の中にはすでに理想の一枚がある。光の向き、空気の密度、被写体の気配。そのイメージに現実が追いつくまで、ひたすら待つ。「これでいっか、で終わらせると、写真の力が弱くなるんです。もう一段深い写真にしたいなら、そのための苦労は必要だと思っています。」
奈良での桜と霧の一枚は、その姿勢をよく表している。
深夜に現地入りし、朝まで状況を見ながら待ち続けた。霧が濃く、桜のある場所さえはっきり見えない。それでも、その場を離れなかった。いつ視界が開けてもいいように、そして霧と桜がもっとも美しく重なるタイミングを逃さないために、そこで待ち続ける必要があった。
動物の撮影は、さらに過酷だ。
狙ったアングル、狙った表情、狙った動きが出るまで、こちらから指示を出すことはできない。ただ待ち、ただ観察し、その瞬間に備えるしかない。
野瀬の写真に漂う静かな緊張感は、そうした時間の蓄積から生まれている。

信頼は、ひとつ先の仕事から生まれる。
作品づくりにおいては、納得できる瞬間が来るまで待つ。
一方で、クライアントワークでは考え方が少し変わる。限られた時間のなかで求められていることにきちんと応え、そのうえで相手にとって何がいちばん良いのかを考える。それが、野瀬の仕事観だ。
「仕事では、限られた時間の中でできることは全部やって返したいと思っています。求められたものを正確に返すのは、プロとして当然」
そのうえで野瀬が大切にしているのは、相手に喜んでもらうには何ができるかを考えること。納品は早く、やり取りは誠実に。依頼された内容を押さえたうえで、より良くなると思える提案があれば、自分から添えて返す。
“依頼をこなす”のではなく、“一緒により良いものをつくる”。その姿勢が、野瀬の仕事を信頼につなげている。
「自分が逆の立場だったら、こうしてもらえたら嬉しいなって思うことをしようっていう、それだけです」
言葉はシンプルだが、そこには仕事への誠実さがにじんでいる。
もちろん、現場は決してスマートなことばかりではない。
インドネシア観光省の撮影では、現地の水で歯を磨いたことが原因で食中毒になり、高熱と下痢に苦しみながら撮影を続けたこともある。「地獄だった」と笑いながら言う。

別の機会には、雪の京都を撮りに向かう途中、高速道路で大雪に足止めされ、16時間身動きが取れなかったこともあった。水も食事もなく、トイレにすら行けない状況だった。そうした過酷な経験もまた、野瀬の写真家としての厚みになっている。
「光を読むために、余計なノイズはいらない。」
写真家にとって、「光を読む」ことは仕事の根幹だ。
どこから光が差し、どこに影が落ちるのか。水面はどう反射し、ガラスやコンクリートはどんな照り返しを生むのか。
その情報を正確に受け取り、瞬時に判断する。その精度が、写真の質を決める。だからこそ、身につける道具にも妥協はない。
野瀬がEyevolを手にしてまず感じたのは、その軽さだったという。
「つけてることを忘れるくらい軽い。撮影中って、サングラスそのものを意識したくないんです。ずれたり、気になったりすると、それがノイズになるので」
フレームのノーズパッドとテンプル部分はラバー素材。肌に当たっても蒸れず、痒くならない。そしてどれだけ動いても、ズレない。野瀬が言う「ノイズにならない」は、機能の話であると同時に、集中力の話でもある。

さらに野瀬が即座に評価したのが、偏光レンズ(PLレンズ)だ。
写真家として偏光フィルターの効果は身体で理解している。水面やガラス、都市の照り返しを抑え、必要な情報だけをクリアに捉える。その感覚が、Eyevolのレンズにはあった。
「偏光レンズが絶対に良いです。光の反射を抑えてくれるのって、撮影する側からするとすごくわかりやすい。PLフィルターと同じ効果だから、レンズで同じことができるっていうのは納得感がある」
写真家が撮影前に「光を読む」ように、Eyevolの偏光レンズは「余分な光を削ぎ落とす」。その精度が上がることで、判断が研ぎ澄まされる。
Eyevolは、野瀬にとってファッションでも、単なるUVカットでもない。光と向き合う現場で、視界の精度を上げ、判断を研ぎ澄ませるための“仕事道具”なのである。

作品の向こうに、人がいる。
今、野瀬が見据えているのは、作品だけでは伝わりきらない“人”の部分を発信していくことだ。
これまでInstagramのアイコンはロゴのままにしてきた。顔を出さず、作品そのもので見てもらいたいという思いがあったからだ。その一方で、初対面では「もっと渋い年上の方かと思っていました」と言われることも多い。
「どんな人なんだろう」「何歳くらいの人なんだろう」と、作品の向こう側にいる人物像に興味を持たれることも増えていた。だからこそ今は、写真だけでなく、その奥にある考え方や人柄も少しずつ届けていきたいと考えている。
「写真だけじゃなくて、僕の人間性だったりっていうのを発信したい。作品の人だよね、だけじゃなくて、もっと中身を知ってもらえる機会を増やしたい」
作品の人、で終わるのではなく、どんな考えを持ち、どんな人なのかまで伝わっていくこと。それが、次の表現につながっていく。YouTubeでの発信も、その延長線上にある。
まだ構想段階ではあるが、視線はすでに次を見据えている。
18歳で職人となり、趣味としてカメラを手にし、粘り強くチャンスを待ち、やがて世界のブランドや企業から声がかかるようになった。
野瀬大樹は、偶然ここにたどり着いたわけではない。
積み重ねた時間と、妥協しない姿勢で、自らこの場所まで来た人だ。そして今、その視界の先には、さらに大きな景色が広がっている。
その景色を、Eyevolがよりクリアに支えている。

PROFILE
プロフィール野瀬 大樹
Hiroki Nose





















