火は、脇役でいい。― 焚き火マイスター・猪野正哉が、火の向こうに見ているもの

「焚き火の主役は、火じゃないんです」。
そう言い切る焚き火マイスターに会いに、千葉の郊外へ向かった。雑木林に囲まれた私有地に、猪野正哉はいた。50歳。テレビや雑誌の焚き火監修、イベント、執筆と、火を仕事にして10年になる。日本焚き火協会の会長でもある。
それでいて、火にも肩書きにも執着がない。「いつまで焚き火マイスターができるか、わかんないですよ。別に、こだわりたくもない」。取材の最初に、彼はそう言って笑った。
火で食べている人が、火に執着しない。その理由をたどると、猪野がずっと立ってきた場所に行き着く。いつも、主役の一歩うしろ。

主役を、張らない人
猪野の経歴は、火の匂いとは遠いところから始まる。19歳でメンズノンノの専属モデルに選ばれ、東京でファッションの世界を歩いた。モデルを退いてからは雑誌の現場に移り、ライターになる。人気カルチャー誌で8年、取材して、書いて、また書き直した。ずっと裏方だった。
「裏方をさせてもらってたんで、取材を受ける側になっても、相手が何を望んでるのか、なんとなくわかるんです」
撮る人、書く人、場を回す人。この人は最初から、自分が主役の椅子には座っていない。焚き火にたどり着くよりずっと前から、猪野は脇役の側にいた。

焚き火は、脇役でいい
かつて猪野は、焚き火を囲むあるトーク番組に、長く裏方として関わっていた。司会は、誰もが名前を知る大御所。その人が、焚き火をほとんど見ないのだという。
「なんでだろう、ってずっと思ってたんです。で、あるとき気づいた。隣に、話したい人がいる。だったら、そっちを見ますよね」
焚き火は脇役なんで、主役は人なんだよ。彼のその一言が、この日の取材の背骨になった。
火起こしにも、妙なこだわりはない。薪を組んで、風を送って、苦労して火を点ける。その手順を楽しむ人がいるのはわかる。それでも、と猪野は言う。「火起こしを楽しむのは、自己満足なんですよ。『お前の火起こし最高だったな』なんて、言われたこと一度もないですから」。着火剤を使えばいい。早く火を育てて、囲んで、くだらない話をする。そのほうがずっといい。

猪野にとって、焚き火のいちばんの効用は、火そのものにあるのではない。「人の目を見なくても、会話が成立するんです」。正面から向き合うとこじれる話も、同じ火を挟めば、視線を炎に預けたまま、ぽつぽつと言える。
あるゲストが、吸い終えたタバコを焚き火に放り込んだことがあった。行儀がいいとは言えない。それでも猪野は、その気軽さのほうに深くうなずく。「このくらいのもんだよな、焚き火って。そう思いました」。仕事帰りの職人がドラム缶に廃材をくべ、缶コーヒー片手にひと息つく。焚き火とは本来そういうものだ、と。「10人いれば、10人の焚き火があるんです。こうじゃなきゃいけない、なんてない」

釣れない、を楽しむ
この日、猪野は川で釣り糸も垂れた。有志が立ち上げた名付けて「ツレナイ部」。釣果は、はじめから狙っていない。竿を出し、川面を見て、ただ待つ。
偏光レンズ越しに川面をのぞき込んだ猪野が、ふと目を細めた。
「川底まで、はっきり見えるな」。
表面のぎらつきが消えて、水の中まで視界が通る。魚は今日も釣れそうにない。それでも、水中まで見通せる午後を、猪野は機嫌よさそうに眺めていた。
「キャンプって、忙しいんですよ。やることがたくさんある。だから僕は、なるべくのんびりする時間を作りたい」。食事も、途中の道の駅で惣菜を買えばいい。とにかく外にいること。それで足りる。

面白い話がある、と猪野は続けた。人は日常を離れたくてキャンプに行く。それなのに、キャンプ場が静かすぎると落ち着かなくなる。「遠くで車の音がしてるくらいのほうが、ほっとするんですよ」。山に登る人は人工物を見たくなくて登り、下山して街が見えるとほっとする。「人って勝手だなあ、って」
彼にとってのアウトドアは、非日常を味わう場ではない。不便な場所にわざわざ行って、「日常って、実は便利だったんだな」と思い出す。釣れない午後の、何も起きない時間。そこにこの人の芯がある。

30代の空白と、両親と囲んだ火
華やかなモデル時代のあと、猪野には長い停滞があった。20代の終わりに始めた事業がうまくいかず、30代はほとんど表舞台から消えている。「自分の中では、30代はほぼなかったと思ってるんですよ」
実家に戻っていた頃の話を、彼はぽつりとしてくれた。ある日、父親に「お前、話すことがあるだろう」と言われ、庭の東屋のような場所へ連れて行かれた。焚き火をしながら、両親と向き合う。逃げ場はなかった。
「でも、焚き火があったおかげで、親の目をちゃんと見て喋らなくても、怒られなかったんです」
火が、間を持たせた。まっすぐ目を見て切り出すには重すぎることも、火を挟めば口にできる。「焚き火は脇役」という言葉は、思想である前に、この時間の記憶から来ている。火が主役だったのではない。火があったから、親子がもう一度話せた。
その後、友人にしつこく誘われて始めた山登りが、猪野を少しずつ外へ連れ出す。そして40代で、焚き火という仕事にたどり着いた。

欲を、手放す
今の猪野に、ぎらついた上昇志向は見えない。「焚き火で家が建った、なんてことはないですよ。上がったといっても、今は普通に平均値です」
この焚き火だって、と彼は言う。「僕が編み出したものは、ひとつもない。誰かがやってることを、伝えてるだけなんです」。それでいい、と本気で思っている。
欲がないんですね、と向けると、答えは静かだった。「思い描いたことが、そのまま実現したことが、まずなかったんで。だんだん、思わなくなったんですよ」。諦めというより、身についた身軽さだ。
失敗にも寛容になった。事業に失敗して、人が離れた時期もある。戻ってみると、まわりは思うほど自分を見ていなかった。「そこまでみんな、お前のこと見てないよ」。友人のその一言に、ずいぶん救われたという。一度の失敗で切り捨てず、もう一度チャンスを渡す。そんな人たちに囲まれてきたから、自分も、人の失敗を笑って引き受けたい。

見えるものを、選ぶ
ファッションの話になった。外に出るとき、猪野はあえて白い服を着る。汚れを考えれば黒が定石のアウトドアで、だ。理由が、いかにも彼らしい。
「まずは自分の着たいものを着るのが、一番いいんです。気負ったものを身につけたら、何もできなくなっちゃうんで」
道具も服も、気負わない。好きだから、心地いいから選ぶ。その延長に、目もとの話があった。
「アウトドアって、いろんな危険があるじゃないですか。それをどれだけ先にキャッチできるか。目に見える危険だな、って」
外で長く過ごす人にとって、よく見えることは、身を守ることと地続きだ。まぶしさや照り返しの奥に、足元の段差や、寄ってくる虫や、風の変わり目が見える。さっき川底が見えたのも、同じことだった。見える情報が増えるほど、危険は先に避けられて、遊びはもっと自由に領域を広げていく。
一日の大半を外で過ごす猪野にとって、レンズ越しに世界を見ることは、特別なことではない。まぶしければかけ、要らなくなれば外す。その加減に、力みがない。気負わず、好きだからかける。Eyevolは、そんな猪野の流儀にすっと馴染んでいた。

火は、脇役でいい
夕方の火が、少しずつ大きくなる。日中の焚き火は炎が目立たない。それでも煙が逆光に光り、手元が動き、火を挟んで人が笑う。やはり主役は、火ではなく人だった。
五十年生きてきて、一番楽しいのはいつですか。そう尋ねると、猪野は迷わなかった。「今じゃないですか」
火は、脇役でいい。誰かの隣で、話しやすい空気をつくれたら、それで役目は足りている。人を主役にするために、半歩引いて、世界をよく見る。その澄んだ視界の先に、猪野正哉の五十年がある。
PROFILE

猪野正哉(いの・まさや)
焚き火マイスター/アウトドアプランナー/日本焚き火協会 会長
1975年、千葉県千葉市生まれ。19歳で第9回メンズノンノモデルオーディションに合格し、専属モデルとして活動。その後、モデル兼ライターへと軸足を移す。20代後半に手がけた事業の挫折を経て、40代で「焚き火を生業とする」現在の道にたどり着いた。2015年、実家の雑木林を自ら整備し、プライベート焚き火サイト「たき火ヴィレッジ〈いの〉」を開設。現在は撮影やイベント時のみ開放している。テレビや雑誌、イベントで焚き火の監修・講師を務め、『マツコの知らない世界』(2019年)などに出演。著書に『焚き火の本』『焚き火と道具』(ともに山と渓谷社)『焚き火メシの本』(ライスパブリッシング)。
Website:takibimeister.com
Instagram:@inomushi75















